2015年7月18日土曜日

2015年07月19日

便り/ Bulletin

メッセージノート/SERMON NOTES
   実りの時間/Sunday School:  
   礼拝/Worship Service: 

《ハギンズ牧師からの一言》

チャペルの兄弟姉妹、そして、遠方に住み、恵み聖書チャペルの便りを頂き、メッセージCD、或いは、このサイトを通してメッセージを聞き、そして、この奉仕の為にいつも祈っておられる方々へ、

*この場を借りて皆様に重要なことをお伝えしたいと思います。私は最近「祈り」について御霊とご自身の剣によって深く示されている事を感じています。それは、牧師として、また、一信者として一貫性のある祈りが不足している事です。もしかしたら皆さんも同じ状態であるかも知れません。

*私たちは、キリストが、私たちの戦いの武器は、軍事金属や、新しい法律ではないことを教えられたことを知っている。祈りで注がれる福音こそがクリスチャンの武器である。最近世の中は早く変わっていっています。それは、新しい発明の事ではなく、かなりの速度で神の民、そして、教会に対する敵意である。戦後の日本の教会は比較的に平和な年月を過ごしてきた。こここそに危険が待ち伏せている。その病状は、心の冷淡と自己満足が我らに感染している可能性が高い。結果として、以前のように我らは祈りをもって自分の心を見張る時間が少なくなる。魂よ。あなたはどうですか?
*私は断続的で一貫性のない祈りを意味していない。誰でもそれはできる。私のいう祈りは、毎日自分の心を注ぎ出す祈りを意味している。毎日日々の忙しさを締め出し、自分のクローゼットでの祈りを意味している。私たちは、主の民でありながら、主の祝福に預かりながら、冷淡と自己満足に耳を貸し、「今日は時間がない」、「自分のスケジュールは忙しすぎ」などに説得されているか?心のしぼみを嘆く者か?祈りの生活を見るがよい。神は戦後の平和を何の為に与えたであろう?もしからしたらそれは、敵からの差し迫った試験という嵐に備えての準備期間かも知れない。大凪の時の祈りを、使い古した、あるいは、手あかのついた道具として使い慣れていないなら、どうして突然の嵐がきた時に使えるであろう?
*私の懇願である。まず自ら、そして皆様も、祈る民となることである。御霊が私たちの心を引き立てられることである。そして、聖書的祈りの習慣が身に付き、我らはダビデとともに言う。「たとい、死の陰の谷を歩くことがあっても、私はわざわいを恐れません。」
*個人的クローゼットの祈りの生活というものは非常に個人的なものである。それを自しながら皆さんの参考のためにつぎの「私の祈りの課題」というPDFファイルをクリックしてください。これが主によって用いられる事を祈ります。そして、少なくとも御によって皆に祈りの習慣が着けば心から嬉しく思います。